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建国記念日におもう
暑さえ除けば日本人にも生活しやすいシンガポールですから、普段はさしたる不都
8月9日はシンガポールがマレー連邦から独立した建国記念日です。今年で建国36回目を迎えました。毎年この日は国を挙げてお祭りのような華々しいセレモニーが行われます。この頃になると毎年と言っていいほど、シンガポールの歴史がテレビや新聞で回想されます。不幸だった第二次世界大戦中の日本軍占領下時代を忘れまじとでもいわんばかりの、取上げ方がされます。多くの日本人がそうであるように、私もこの地域に来るまでは日本軍の犯した東南アジアでの残虐行為を全く知りませんでした。こちらへ来た当事、事実を知らなければと、当時の日本軍のシンガポール人に対する虐殺、拷問から運良く逃れられた人達の回想録を読みました(日本語に翻訳されたもの)。日本に対して悪意や抗議を持って書かれてはおらず、ただ淡々と事実を記しているだけの手記でしたが、書かれている内容の残虐さにとても読み続けることができず本棚に置いたまま14年が過ぎました。今回もう一度と思いほこりをかぶった「日本軍占領下のシンガポール」と題されたこの本を開いてみましたがやはり読み進むことができませんでした。 日本では今年も首相の靖国神社参拝の是非をめぐって新聞などでは論争が繰り広げられていました。シンガポールでは法律でいかなる種類の集会もデモも禁止されていますから韓国や中国などのような抗議行動は一切行われません。だからと言ってシンガポールが日本軍から受けた傷を忘れているわけではないようです。小学校や中学校の歴史の教科書にはこれでもかこれでもかというほどのページを割いて日本軍占領下時代の歴史と当事の日本軍の行為を伝えています。我が家の4人の子供達は順番に学校でこの事を学んでいきました。一番上の子が小学校4年生で日本軍占領下時代のシンガポールの歴史を学んだ頃、学校で友達から「日本人は悪いことをした」と言われるのがイヤだと言っていたのを思い出します。去年、四男がやっとここを通過しました。彼が学校で知った事実を驚いたように私に確認してきました。子供達が学校で歴史の事実を学んで私にいろいろ言ってくるのは4回目なので慣れてはいましたが、四男の言葉から考えさせられることがありました。「お母さん、先生がね日本人は日本軍がシンガポール人を殺したことを知らないって言ったよ、ほんとなの?」私はこのことを子供から聞いた時、シンガポールは韓国や中国のように日本の歴史の教科書に対する批判はしませんが、教室の中で日本の歴史教科書批判が実行されていることを知りました。シンガポール中の子供達が教室で「日本人は事実を知らない」と言う事実を知らされている、その事の方が表立って教科書批判がなされるよりもずっと重いことのように私は感じています。
8月9日に、建国記念日のシンガポールを見てみたいと言う日本からのお客様を迎えました。シンガポールが昭南島と呼ばれていた頃の日本軍の足跡を辿り、又、シンガポール人の犠牲者の方々の慰霊塔を訪れたいとの目的のみなさんでした。日本軍がマレー半島から海を渡って最初に上陸したシンガポールの海岸、当事のイギリス連合軍との激戦地、シンガポールを東南アジアの占領地の中心とし日本国にしようと計画した昭南神社の跡、日本軍戦死者の忠霊塔跡、シンガポールでの日本軍戦死者や戦犯の慰霊碑のある日本人墓地、シンガポール人犠牲者慰霊塔などを巡るツアーに私も同行しました。私も行ったことのない所ばかりでしたから大変貴重な体験をさせてもらいました。
8月9日は朝から白い厚い雲に覆われた小雨の降る、絶好の散策日和でした。もし、炎天下でしたら皆さん熱帯地で熱射病で倒れてしまったかもしれません。日本軍降服の際に日本軍自らが破壊した昭南神社の跡はジャングルの中に放置されたままで枯葉の中に埋もれていました。日本軍戦死者の忠霊塔も日本軍が自ら爆破し忠霊塔に続く階段が残されているだけでした。最後にシンガポール人犠牲者のための慰霊塔を訪れました。シンガポールの中心地に建てられている忠霊塔の周りには若者や観光客が行き交っていました。何千という犠牲者を持ちながら日本にそして日本人に友好的なシンガポールにあらためて感謝がわいてきました。
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