NO-23

朝窓に清冽の満月(つき)今しもに山昇るかと惑いて見たり

 子供のころからの知己の先輩であるM氏に招待されて、先月の中旬、仙台市の奥座敷と呼ばれている秋保(あきう)温泉に一泊した。M氏の弟のK氏(仙台市在住)も同行して、私と妻の4名で湯の宿の一夜を楽しんだ。K氏も招待客である。
 はじめは、招待したいとの申入れに躊躇した。が、強いお誘いでもあり、好意に甘えることにした。K氏運転の車で出発。隣の村田町の近道を辿り、40分で秋保温泉に着いてしまった。K氏の土地鑑というか、道路事情に詳しいというか、A道路とB道路の交差点でどちらが近道かを判断するときのカンのようなものが的確で驚いてしまった。(この小さな旅では驚くことがいくつもあった。)
 M氏の懇意にしているのは一流のNホテルである。出迎に大女将(おおおかみ)と支配人があらわれた。大女将は80歳代の大柄な女傑という印象である。大女将はこのホテルの社長で、直接のお出迎えは、かなり懇意の客にだけらしい。私と妻はちょっと構えてしまったが、大女将はM氏にあいさつし、私達には“さりげなく目礼”して去った。この“さりげない目礼”の雰囲気が実によかった。心をこめた歓迎が瞳の中にあった。気分を良くしているところへ支配人が来て丁重なあいさつを受けたのである。長く接客を生業(なりわい)としてきた大女将のみごとな“客さばき”の真髄にふれたおもいである。
 M氏は年間10回はこのホテルを利用しているとのこと。関係している団体や知人の接待、公務での出張等である。団体客を引き連れての利用もたびたびらしく、上得意の客なのである。夕食で山海の珍味を馳走になった。K氏が名立たる銘酒2本(4合ビン)をバックに忍ばせていたのである。ホテルは宮城県の銘酒「浦霞」を用意していてくれた。酒好きの私とK氏には至福の一夜だった。
 酔いしれて寝た翌朝は快晴。妻がカーテンを引くと西の里山の上に満月があった。一瞬、今山から昇ってきたのか?とおもってしまった。朝6時の満月は透明感があり、青みをおびて快晴の空に消えてしまいそうな風情である。はかなげであやうく、パリンと割れてしまいそうな満月だった。雑木林には根雪があり、北西の空遠くに蔵王連峰が望めた。

盛られたるけしきの佳(よ)さに箸おきて食する心わすれておりぬ

 翌日の昼食はNホテルの別館で懐石料理を馳走になった。
 このたびの招待は12日(夕食+朝食)+翌日の昼食(懐石料理)がセットになったコースなのであった。別館は平成7年に完成したという。和風の素人目にも吟味された材料での建築物であることがうかがえる。館内は檜の香りがする。調度品も高級なものばかりであった。
 広い庭に面して食堂があった。テーブルと椅子が並んでいて、そこで懐石料理をいただくのである。私たち4名と他に56名の女性客がいて、にぎやかな食事であった。M氏がすでに数回、この懐石料理を召しあがっていて、なにかと教示してもらえるので、気楽に食事ができた。
 私は、懐石料理をいただくのは、はじめてのことである。まず、向付が出た。白身の魚の刺身である。魚は鯛ともう一種。私の手の平の半分位の鉢に少量盛りつけてある。(とにかく、何品の料理をいただいたのか記憶が確かでない。印象の強かった料理について記してみよう。)
 煮物の椀種は里芋、人参、竹の子などで菜の花が色どりをそえていた。揚げ物は白身の魚が数種(何の魚かはわからなかった)に蕗のとうもあった。吸い物は、まことに薄味の鱈の摘みいれらしい…を、K氏がガブッと飲んでしまった。「アッチッチ…」である。すると、接待係の女性客が素早く、コップに冷水を入れて持参した。馴れている所作のように…である。こんなことは滅多にあるまいに、と感心させられた。
 懐石料理には「けしきよく盛りつける」という言葉があるという。M氏に教えられた。なんと奥床しい調理師の心遣いであろうか。客人に“色どりもよく、おいしそうに見せ、山や川、あるいは水の流れまでも感じさせるように料理を盛りつける。”ということであろうか?。そもそもが懐石料理は茶事の催しに供する食事なのだから、もっともであろうと得心した。それからは、一品一品、よく盛りつけを拝見してからいただいた。
 扇子(せんす)を象ったご飯が運ばれてきたのは、ほぼ食事の終了前である。香の物が添えてある。最後は梅の蕾のような形の和菓子と抹茶をいただいた。
 「命あっての物種」という諺があるが、つくづく、そんなおもいがした。健康に生きておればこそ、温泉旅行に招かれ、おいしい料理を馳走になった。素晴らしい人たちに出合い、いくつもの感動をみやげにすることができた。ありがたいことである。
 家に帰ると、冬の間縁側に囲っておいた君子蘭の大きな葉と葉の間から小豆粒ほどの花芽が7個覗いているのをみつけた。弥生三月。たしかに春がやってきているのである。


 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
 短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。
柴田町船岡在住・渡辺 信昭