いまの季節は星空がいい。それも早朝の星空が好きである。明日の天気予報で宮城県の平野部にお日様マークが付くと、目覚まし時計を午前4時にセットする。が、ほとんど時計のお世話になったことがない。翌朝の4時前には目が覚める。さっそく肌着の上に厚手のシャツを2枚着込む。2枚目はフード付きである。運動用のパンツに靴下も厚いものを2枚はく。その上に防寒用のジャンパーの上下を付けて完全な防寒対策をする。それでも寒さが心配のときにはマスクをする。
帽子は黒の野球帽を愛用しているが「WE’G.P.PACER FI CHAMPION」と金糸で大きく刺繍してある。これを被ると速く歩けるような気持ちになる。準備運動を入念にして4時30分には家を出る。懐中電灯は必携である。まず、東船岡小学校を目差す。わが家からは正に東に位置している。外は真っ暗だ。…真っ暗というのは正確ではないか?というのは、要所ようしょに外灯が設置してあるし、家屋で電灯をともしているところも、けっこうあるのだ。 新聞配達の少年たちもライトを付けた自転車で走り回り始めているし、煩繁ではないが、ライトを付けた自転車の通行もある。街には、けっこう光が有るのだ。けれでも、早朝は静かで落ち着いて歩けるのがいい。東船岡小学校の向こう500mぐらいを阿武隈川が流れている。その向こうは阿武隈高地だ。夏期であれば山際が曙光に染まるのだが今は闇だ。小学校に着くまでは、ゆっくり空を眺めることはない。 小学校の傍を過ぎ、上名生(かみのみょう)集落を自宅に帰るように戻って、鎮守の八幡神社の手前に来て、ようやく休息する。付近は広い畑で外灯も無く星空が良く見える。「冬の星座」という唱歌をおもいだす。「北斗七星のおすぐま座」と「こぐま座」を捜して見つけ出す。ほかの星座を知らないので、あとはゆっくり星空を眺めている。 たしかに、東西南北の満天の星を眺めていると、6000個の星が散らばっているという感じである。まさに銀河である。 地球から、いちばん近い恒星まででも、4、3光年の距離が有るという。いま、私がその星を見つけたら、それは4年も前に光った星なのである。すると、目にしている恒星の全ての光は、4、3年以前にその星が放ったものということになる。なんとも不思議で夢のある話ではないか?ちなみに、地球から月までの距離は384400kmである。地球から太陽までは1.495×10の8乗kmの距離だという。計算が間違っていなければ1億4950万kmにある。 これらの知識は、星空を見るのが好きになってから「イミダス」と「国民百科辞典」を調べて得たものだが、あらためて星の世界が面白くなってきた。これまでは、1光年という単位についての知識も無かったのだ。1光年は、光の速度(3×10の5乗km/秒)が1年間かかって進む距離で、数式は(9.96×10の12乗km)になるという。これも計算してみたのだが9兆4600億kmになった。私の手元の計算機で計算したのだが、12桁までの計算機なので、桁数が足りなくなった。 銀河系が渦巻きの構造をしていることが認識されたのは、1950年頃のことで、薄い円盤の中心から2.7万光年離れているのだ。“天文学的な数字”という言葉があるが、星空について、若干の知識がほしいとおもって調べはじめると、こんな数字に出合うようになった。
私は、どちらかと言えば強く光り輝く星よりも、はかなげに、消えいりそうに光っている小さな星が好きである。小さな星は、瞬きでもするかのように光ったり消えたりする。
私の好きな小説家のひとりに五木寛之氏がいる。1966年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞をとり、1967年「蒼ざめた馬を見よ」で、直木賞を受賞した作家である。この小説家がデビューしたころから、氏の小説に強く引かれた。若いころは、氏の小説が掲載された雑誌はほとんど買って読んだ。読み終えると雑誌をバラバラにして、氏の小説の部分を綴りひもでとじて保存していた。 最近になって、また氏の著作に引かれるようになった。 「生きるヒント」「大河の一滴」「人生の目的」などの人生論にである。いまは「他力」を繰り返し読んでいるが、そのなかの「21・自分を信じ、自分を愛することが出発点」の中に「………人間は無為(むい)に生きるだけで大変なことなのです。一生に誇るべきことをなしとげた人は謙虚に感謝すればよい。もしできなくても恥じることはない。生きることそのものが大変なことです。五十年、六十年生きてきたという人は、もうそれだけでほめてあげてもいい。どんな人生であっても、それなりに一生懸命、必死で生き続けてきたに違いないのです。………」とある。 夜空を眺めていると、かすかにでも光っている星は幸せだとおもってしまう。 私は、自分の世界と星の世界を重ねて見ているようである。 明日の、宮城県平野部の天気予報にお日様マークが付きそうである。目覚まし時計を4時にセットしなければならない。 三十一音の韻律の文学の魅力にはまって三年になる。平成11年上期の河北歌壇賞(河北新報社・佐藤通雅選)を受賞した。
短歌を勉強すればするほど、類形的でまとまりすぎて新鮮味がなくなった。表現が古めかしくて色褪せてきた…などと言われるようになった。むずかしいものである。「歌は人である」と言われるが、色褪せた自分にどんな春の彩りをそえて旬の短歌を作ろうか…と考えている。 柴田町船岡在住・渡辺 信昭
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